読書濾液の貯水箱

本を読んでいたことを忘れないために

最近読んでいた本について(8月~10月)

 リアルが忙しい、という言い訳はあまりにも陳腐ですが、他に申し訳が立ちません。

 更新が半年以上無い、ということだけは防ごうと言うことで、単純に読んでいた本を列挙、簡易的なレビューを行います。

 簡素な内容になることをお許し下さい。

 

 思考の紋章学(澁澤龍彦

思考の紋章学 (河出文庫)

思考の紋章学 (河出文庫)

 

初期のエッセーから『胡桃の中の世界』に至る著作の中で、著者はもっぱらヨーロッパの文学や芸術をとりあげてきた。本書においてその関心は日本の古典や文学にも向けられ、迷宮、幻鳥、大地母神などをテーマに、東西の文学作品に通底する心的パターンをめぐって、自在の引用と言及を展開する。

 性と結びついたモチーフらの共鳴と人間の真相

 文学作品や神話において持ち出されるモチーフは様々なものが存在する。「迷宮」、「儀式」、「時計」、「円環」。様々なモチーフと、それらを取り扱う物語を通して性の在り方と人間心理を読み解いていくエッセー集。

 例えば、「付喪神」の生まれた理由は「地獄」の概念が希薄化したことによるものである、という推察がある。

器物の妖怪は、このような前時代の地獄の形而上学の崩壊した後の空虚に乗じて押し寄せた、いわば「物」の巻き返しではなかったかと思われる。

一つの形而上学がつぶれたからといって、人間が油断をしていると、「物」はすぐ逆襲してくるのだ。

  こうした「物」の逆襲を見る人間の精神にフェチズムを鑑みる、というのも個人的には強い納得感を覚える。

 

金融の世界史(板谷敏彦)

金融の世界史: バブルと戦争と株式市場 (新潮選書)

金融の世界史: バブルと戦争と株式市場 (新潮選書)

 

シュメール人が発明した文字は貸借記録の必要に迫られたものだった。ルネサンス期に生まれた銀行・保険業大航海時代は自由な金融市場をもたらし、国家間 の戦争は株式・債券の基を創った。そして今日、進化したはずの国際市場では相変らずデフレ・インフレ・バブルが繰り返される……人間の営みとしての「金 融」を通史として俯瞰する試み。

 経済の仕組みの積み重ねが歴史である

 全体を通して、お金の回り方がどういった流れを積み重ねてきたのか、という歴史を、様々な事例を通して簡潔に説明してくれている一冊である。資産としての貨幣は、鋳造か鍛造かによってどのような違いがあるのか、国が戦争をする時のお金はどのように徴収されたのか、株式会社の始まりはどのようなものなのか、等々のお金の流れの歴史を教えてくれます。

 改定に沈んだ石貨の価値が認められるのは物語のためである、などのちょっとしたエピソードなどもあり、面白く読むことが出来ました。

西洋学事始(樺山紘一

西洋学事始 (中公文庫)

西洋学事始 (中公文庫)

 

紋章学、占星術、古銭学、美味学、詩学…これら「西洋学の裏通り」を探索することで、ヨーロッパの歴史・社会・文化に通底する西欧思想の原形質をつきとめ、時代の風化に耐えぬく堅固で重層的な西洋的近代知の存続を確認する。西洋学の愉悦にひたる一冊。  

西洋において積み重ねられて、消えていった『学問』との邂逅

 たとえば占星術、などと言えば星占いなどが思い浮かぶものであるが、たしかに歴史上、星を読み解くことが重大な意味を持った時代があった。たとえば系譜として、己の家の祖に誰がいるか否かによって、社会を生き抜く力が大きく異なる時代があった。

 それらが重大な価値を持つのであれば、それを学ばなければならないことは自明であり、それ故に、そこに学問は成った。そこに積み重ねられてきた学問としての紋章学、古文書学、カノン法、等々の存在から、現代に残っている学問は数少ない。

 しかし、そこには確かに学問として成立していた何かがあり、その学問のために知が集積され、過去の優秀な人々らの知性がそこに凝縮されている。そうした学問としての積み重ねが、たとえその内容が全く意味のない間違いであったとしても、今の学問の礎であることに疑いはない。古代より西洋において発展し、消えていった数々の学問のエッセンスを凝縮した一冊。

情報と作戦を分ける――「大本営参謀の情報戦記」を読む

はじめに

 情報に対して敏感になる必要がある
 最近はいろいろと考えることが多すぎて、目をつぶって部屋の隅で雨と埃を食べながらかろうじて生きている有様でした。ようやっと、回復できたかどうか、というところです。仕事も積み重なりながら、本を読んでいたり、数少ないコミュニケーションをしていると強く感じます。
 自分はなんにもわかっていない、と。
 いろんなことを学んでみても、いざ実践に移れば無知を晒すばかりで、一人前になれたかなれないか、なんてことを感じた矢先、自分が未だに何も知らないということを強く強く感じるばかりの日々です。

 自分がどれだけ知らないか、それさえもわからない状態にある、不安のまっただ中。
 ほんの僅かな情報しかなくても、決断を迫られる時がある。
 太平洋戦争の渦中、人の命が天秤の皿に載る最中、天秤を傾けるための情報を集め、苛烈な思いの中判断を下し続けた参謀が書いた本です。

情報を積み重ねる

 あらゆるしぐさを見逃さない
 今やインターネットという情報の奔流に心身を流される昨今ではあるけれど、かつての太平洋戦争でも、情報というものは当然のごとく大切なものでした。
 情報源というものは様々に存在しました。新聞、雑誌、公文書のような文書から、諜報組織による情報網も存在します。
 筆者は、こうした情報源のうち、相手が表出したものを特に「しぐさ」という言い方をしました。

 情報を得ることは、戦争に於いては当然に重要でした。国力の検討のための経済、資源、産業や、愛国心を見定めるための教育、船舶の輸出量、積み重ねた歴史や思想。こうしたあらゆる分野の情報から、戦争能力をはじき出す。こうした情報収集は、戦争を始めてから行う、というものでは無く、始める前から知っておかなければ「いざという時」に役に立たないものでした。
 筆者は、真珠湾攻撃によって戦術的勝利を得たことに対し、米国が日系人の強制収容を行ったことが、米国の戦略的勝利であったと述べています。敵国本土における情報網に大きな穴が空いたことが、最大の敗戦の原因であったとさえ述懐しているのです。

情報を審査する

 情報の交差点を見つける
 筆者が参謀として大本営の情報課に所属した時、そこに参謀のためのノウハウ、マニュアルなどは殆ど存在しませんでした。
 さらに言えば、その時の情報課は耳障りの良い「的確さを欠いた情勢判断」を行うような状態でもあったと言います。
 そんな中、筆者は、自分を育てるための環境も何もないままに、参謀という情報の職人仕事に飛び込んでいきます。

唯自分が、これを天与の仕事と思って取り組んだ時に初めて、経験者の体験が耳に入り、それを咀嚼して仕事に活かし、上司の片言隻句から自分で自分を育てていく以外にない。

 積み重ねた知識と経験から、筆者は「情報の交差点」を見つけることが重要であると述べます。
 つまるところ、一つの情報を鵜呑みにせず、他の何かの情報と関連があるかどうかを見つける、というものです。
 この時、積み重ねてきた知識と経験が、職人の「勘」として立ち昇っていくる。

目前の現実を見据えた線と、過去に蓄積した知識の線との交差点が、職人的感であって、(…)積み上げた職人の知識が、能力に鳴った結果の判断とでもいったらよい。

 筆者は、原爆攻撃の存在には気付くことは出来ませんでしたが、「面的攻撃」を考えるのではないか、というところまでの発想には至っていたそうです。
 その時に原子力に係る発想を、知識を持っていれば……と、強く悔いていることが書かれています。

 言い切らなければならない
 いくら情報を審査しようと、「確実な情報と称するもの」はめったにありません。血で血を洗う戦場などでは特に、情報を得ようにも極限状態。揺れ動く有様に「確かなもの」はありません。

 しかし、「敵が来るのか来ないのか」を、言い切らなくてはいけないタイミングは必ず訪れます。

 それが正しいのか正しくないのか、それを確保してくれるものはどこにもありません。決して埋まらない30パーセントの空白を埋めるのは、情報を積み重ねた勘と、責任だけなのです。

情報と作戦を分ける

 情報は濁らせてはいけない
 これは100年も前から当然のことなのだそうですが、情報と作戦は必ず分ける必要があります。
 あくまでも、情報は情報に携わるものが収集し、作戦は作戦に携わるものが実行する。この分別を行わなければ、「独り将棋を指すのと同じ」になると、強く戒めています。

 例えば、航空隊の実戦などでは、参加機以外がその様子を写真などで見届けでもしないかぎり、誇大報告は避けられません。命のやり取りをする最中の心理に意識を向けていなかったことから、日本軍は誇大報告をそのまま鵜呑みにし適切でない作戦を取り続けてしまったといいます。

 作戦当事者は、感情や期待を以て判断を加えてしまうと言います。それ故に、情報当事者は作戦から離れ、経験と知識から、深層と本質を冷徹に見る必要があるのです。たとえそれが友軍の戦力であろうと、冷静に把握しなければ、作戦は正確なものになり得ないのです。

独りで情報を重ねていく中で

 そうは言えども、昨今の世の中には情報が満ち溢れ、自らを活かす作戦もまた、混迷を極めています。

 もはや何も道標はなく、冷静に情報を見る目も果たして養うことが出来るのだろうか、とさえ感じます。感情に流され、冷静でない行動を取り、作戦は敗北を続けています。永久後退戦の最中に、気を紛らわせてくれる何かが訪れてくれることを願います。


大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

 

「小説家になろう」まだ読んでいました

 タイトルの通り、ひたすら読んでいました。

 読み方は以下のとおり。

 1,ランキング(累計、年間、四半期)から適当に。

 2,選んだ作品の作者のブックマークをサーフィン。

 3,時々ランキング(日刊、週刊)から適当に。

 

 概ね傾向は掴めたような気がする。 以下、面白いと思ったものを幾つか羅列します。

 

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 脳内なろうランキング第3位です。

 中途半端な決意、中途半端な行い、ぶらぶらと彷徨う思いや行動と取り返しの付かな い失敗、恐れ、怒り、苦しみ、絶望、綯い交ぜになってどれがどれかもわからないまま、重大なヒントに気づかないまま失敗を重ねて、学んだはずの決意も忘れて思い出せず繰り返す。前に進む「成長」なんてなく、あるとするならそれは、良くも悪くも「変わる」ことだけである。

 異世界に呼ばれて主人公がチートな能力を発揮する、というテンプレの中で、ここまで「どうしようもない人間賛歌」を描いてくれる、その筆力に脱帽します。正直、自分が書きたいと思うものをここまで書かれていると、モチベーションがむしろ落ちる。

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 テンプレの形式を採用しつつも硬派な3作品。

 硬いほうからイシュル>ウロボロス>四度目。 復讐、抗い、生存とどれもテーマが一貫していながら、エンターテイメント性が保たれていてとても良いと思います。最果てのパラディンとかも入れていいのかもしれないけれど、あれはテーマが人間賛歌っぽい気がするので一旦保留。

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 愉快痛快に読めるタイプです。黒姫の魔道書は完結済。

 上2つは出版もしているらしいです。

 ゲームの実況動画見るような雰囲気で読むというのなら、サモナーさんとかライオットグラスパーとかも良いのかもしれない。

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 なんとなく「変わり種」だと思う三作品です。

 独自の視座が研がれた筆力の元に入念に書き込まれていると感じる各々の作品はどれも力強く、じっくりと読みたいと思わせてくれます。面白いか、面白く無いかというよりも、その書き込むが為の力を読み取らなくてはいけない、と思わせるような、そんな感じ。

 

 そのうちなろう(あるいはノクターン?)に作品を掻き落としてみたいと思ってます。そのうち。

「小説家になろう」を読んでいました

 読書という習慣を身につける必要のあった頃、初めて読むべき本は「星新一」だと皆が言うので読んでいましたが、その次辺りに読んだのはライトノベルでした。

 

  特に「とある魔術の禁書目録」は新約の頃まで読み耽って、いくつもの黒歴史を生み出したのは趣味である創作の端緒でもあったような気がします。(新約の頃からは疲れていて読んでいない)

  ラノベは十分好きな人間ではあったのですが、大学に入り、文学に触れるようになってからは特に避けるようになっていました。ライトノベルが通常の文学の劣化であるというような偏見を気にしたことも多少はあったかもしれませんが、それ以上に「誰もが知っていなくてはならない教養」が、あまりにも高く積み上がっているのを眼前にして、それどころではなくなっていた、というのもあったと思います。

 文学の歴史や時代背景、入念な周辺知識や操作、論理的なバックアップや目をそらさせるレトリック。面倒くさいと思うようなことをたくさんたくさん積み重ねて、それでいてやっと初めて、何か掴めそうな気がするくらいの、文学に対する決闘の如き挑戦というものは、私にとって甚だ努力の要るものでした。カエルは解剖することによって死ぬし、文学も解きほぐしたからといって一度頭に入った先入観は消えてはくれないですし、それが教わった解きほぐし方だと尚更です。純粋に楽しむということについては、自分は苦手でした。そもそも純粋ってなんだとかそういうのはともかく。

 

 それで、最近になって精神的な回復も兼ねて、ライトノベルを読みたくなったので、「小説家になろう」で読みました。このサイトはいわゆる「テンプレ」で有名ですが、もともとJIN-仁-とか好きなタイプなので、舌を肥やさない程度に飢えさせておいた感覚で、がっつり読みました。1ヶ月は読みました。まだもうちょっと読みます。

 面白かったものを以下に羅列しますが、有名所しか読んでいない(と思う)ので、ご了承下さい。

 

◯北の砦にて

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 「テンプレ」というのは「異世界」「転生」「チート」「ハーレム」の四要素(のはず)ですが、これは多分前者二つだけです。

 人外転生ものはたくさんありますが、大抵ヒトに(形だけでも)戻ります。これはヒトになれるのにあんまりならないので好印象です。可愛げがありながらも描写が丁寧でとても良いです。

 

◯クラスまるごと人外転生

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 人外時の精神及び肉体との乖離や、社会的な関係性の乖離等を、比較的しっかり書いてくれている数少ない作品の一つですね。最大のテーマとまでは言いませんが、副次的なりにもしっかり突き詰めているように感じます。

 ただ、クラス全体流離ってやっぱり昔ながらの伝統なんですかね。めちゃくちゃ一杯ある……

◯蜘蛛ですが、なにか?

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 ランキング8位の大作で、これで概ねどういうものが今流行ってきているのかはなんとなくわかりました。多分その前にスライムとかがあって、これの後釜に最近だと地龍やら竜の卵やらがあるんだと思います。今の定形を形作ってるのはこれなんでしょうかね。ランキングに載るだけ有って魅力的な作品です。これも一応クラス全体流離です。

 

◯異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション

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 発想とアイディアの勝利としか言いようがないです。カッコいいものとカッコいいものを掛けたらカッコいいに決まってるじゃないですか。しかも結構設定や人物描写が固まってるのでオススメです。

 

◯本好きの下克上

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 圧倒的な知識量から構築された世界設計と繊細な人物描写、重厚な歴史と特異な文化を持つ異なる世界を主人公と一緒に読み解きながら、多難な人生を歩んでいく。「異世界」「転生」という要素を正統に王道として踏破している間違いのない傑作です。個人的には、なろう最大の傑作です。

 エンターテイメント性を全く捨てず、それでいて人の機微を詳細に捉え、失敗もして、成功もして、横目で見てハラハラしながらも一日一日を生きている主人公の成長を肌で感じるような、そんな作品でした。転生モノでは忘れられがちな家族愛を、この上なくしっかりと書く作品です。

 

◯幻想再起のアリュージョニスト

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 明白に今までのものと毛色の違う作品ですが、これもまた間違いのない傑作です。個人的には、なろうの中で二番の傑作だと思います。二番目というのは、この技術を真似ても万人受けしないからであろうということから来ているだけなので、好みとしてはこちらのほうが好きです。

 繰り返される引用と引喩、作品の内からも外からも引きずり出しては物語を作り上げ、さらに物語の中で物語を作り、物語が持つ力で物語を進めていく。レトリックを組み上げてレトリックで突き崩し、作品のプロットがあるのならプロットという概念を組み込んで物語を組み上げる。

 端的に言えば、「ああ、この台詞はここで生きるのか!」「この設定がここに来るのか!」というような、背筋がぞくりとする感覚を何度も何度も繰り返し味わうことのできる大作です。ただ、一定程度ある各部ごとに作品が百八十度くらい変わるので、悪く言えば毛色が合わないと辛いですし、良く言えばせめて二部までは読んで欲しいです。

 この作品はかなり作品外からの引喩が多いので、いろいろ知っているとより楽しめるでしょうが、推薦図書 - 幻想再帰のアリュージョニストWiki Wiki*という記事ができるくらいには多量のものがあるので、あんまり気にしなくてもいいと思います。

 

◯蝉だって転生すれば龍になる

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 今回上げる作品の中で唯一の短編です。短編としての完成度は凄まじく高いです。こんな作品を書けるようになれたらいいな、と思うタイプの、敬意を評すべき作品でした。涙が止まらないというのは本当に久方ぶりでした。

 

 今回は以上です。

 そのうちしっかり作品を作らないといけないなぁ。

【三本噺】「行動する」ために必要なたったひとつのこと

 

 勉強。節制。運動。コミュニケーション。行動すべきとわかっていることはたくさんあるが、行動に移すことは困難である。では、どうすれば行動できるのか?

 「行動する」には、感じる必要がある。

 

 たとえば、生き物は自らに何らかの危険をもたらす状態に対し、恐怖を抱く。恐怖という感情に従って、逃避・防衛というような行動が導き出される。ここでは恐怖という感情が、行動のトリガーとなっている。

 「感情的な行動」と言うように、ヒトもまた、何らかの感情に基いて、必ずしも望ましくない行動を取ってしまう事がある。一方で、自らを律して感情に振り回されず、物事に取り組むことのできるような人物も存在する。

 ここにある差は一体何なのだろうか?

 

 ソマティック・マーカー仮説という、行動経済学の仮説がある。

 一言で述べるのならば、ヒトが意思決定を行うに際しては、一種の「身体感覚」が重要になる、という仮説である。たとえば、ヒトがあるものを「良い」と思って購入する際には、この「良い」という感情が現れることが、購入という行動のために重大な要素である、ということである。

 一見すると大したことを述べているようには見えないが、この仮説を検証するために「アイオワ・ギャンブル課題」という実験が行われ、ここで示唆される結論は興味深い。

 内容としては、とあるギャンブルを実施していくものである。そのギャンブルは、数回試行するうち「こうすれば安定して儲かる」傾向を見出すことが容易いものとなっている。ここでの実験の主体となる者は、前頭葉を損傷した患者である。患者らは、一般人と同じように試行を行い、どうすれば「安定して儲かる」かを理解した。また、実験者は安定して儲かることを求めている。だが、それにも関わらず、前頭葉の損傷によって「感じない」ために、全く試行を変えることのないまま、大損をして実験は終了してしまうのである。

 仮説段階であり、この実験によって全てが説明可能という訳ではない。しかし、「理解する」だけでは「行動」にはつながらず、「感じる」ことが重要な要素であることが示唆されている。

 

 しかし、感じるということは、必ずしも正しくない。

 ヒトという種は存続するにあたり、様々な思考傾向を身につけた。例えば、ヒトは物事に関して「損失」を「利得」よりも大きく見積もる。手放すこと、失うことに対して過剰に反応し、論理的には得ることのほうが望ましいと思っていても、「感情的に」失うことを「恐れ」、論理的に望ましくない行動を採用してしまう事がある。

 また、論理的に正しいことは、正しく「感じる」ことともイコールではない。たとえ歩きタバコが悪いことだという言説が正しいとしても、それを歩きタバコをしている人間から聞けば、全く正しさを「感じない」。これは、本来的には論理性に含めるべきでない相手の公正性を言説に加えて考えているからである。主張する人物の公正性を言説の内容に含めるようなことは、論理的には関係のないことを含めているので正しくないが、「概ね」正しい結論を導き出すことも多く、それ故にヒトの「感じ方」として受け継がれてきたとも言えるかもしれない。しかし、自分が望ましいと思う事柄のための行動にはつながらないこともある。例えば、相手が公正性が無いように見えて、それを感じ取ったとしても、その「感じ方」に事実の担保はどこにもなく、一度感情を落ち着けて冷静に物事を見ていく必要があることも十分にある。

 

 では一体、どうすれば行動すべきと思うことのために行動できるのか?

 そこには、「感じ方を選ぶ」という技術がある。

 方法の一つとして「森田療法」を掲げてみたい。

 「森田療法」というものは、根本には「今自分が感じていること」を「あるがまま」に見つめ、その上で「行動する」というものである。今自分が感じている怠惰や不安、恐怖や逃避など刹那的な欲望を否定せず、また心の奥底にある「自己実現欲求」のような長期的な欲望をしっかりと感じ取ることで、前者を「そのまま」にして、後者を選択していくものである。

 これは、行動のために感じるテクニックと言える。人間は思考する余裕がなければ、つい刹那的な欲望にかられてしまうし、刹那的な欲望を否定すればするほど、そこに意識が無いてその他の感覚を失ってしまう。重要な事は、自分が求めたいと思うことを感じることである。その感覚がなければ、行動することは出来ない。

 同時に、自分の感じ方を正しく理解する必要もある。自分が実際に何を感じているのか、すぐには理解できないことも多い。わからなければ、何に駆られて動きたがっているのか、わからないままに行動してしまう。「なんとなく」「無意識に」行ってしまうような、望ましくない行動を認識し、抑えるためにも、ヒトの感情の傾向を知ることは大切だ。

 

 自分の感情の傾向を知り、感じるための技術を磨くことは、本当にしたいことを行動に移すための、そして、本当はしたくないことを行動に移さないための、大切な習慣である。

 

(今回から、3冊の本を無理やり結びつけて記事を書く【三本噺】をやってみたいと思います。 今回はライフハッカーとかそんな感じで、それっぽく書きました)

◯今回の三冊と各200文字レビュー

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

 

   「急がば回れ」とは言っても、実際は急いだ方がいいこともある。それでもこれが「それなりに正しい」ために、生きるテクニックとして教えられている。裏切らないと一貫した感情があるのなら、囚人のジレンマは起こらない。完全な合理性には届かないが、存続の課程で磨き上げられてきた、素朴なテクニックたちがヒトの身体に染み着いている。様々な実験から、これらの「傾向」が経済にどんな影響を与えているのか概観する。

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

 

   論理的でなければ機械は動いてくれないが、別にヒトはそうではない。言葉を連ねるとき、それは必ず相手に「理解してもらう」必要がある。相手に、「自分がこう理解したのと同じように理解してほしい」と思うからこそ、言葉は取捨選択され、並び替えられ、言い換えられて伝えられる。そこには論理的には結びつけるべきでないこともあるだろう。でも、伝えたいことが論理的には伝わらないとき、どうしようか。

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

 体中を病に蝕まれ余命幾ばくもない中、口述筆記によってしたためられた、精神治療に関する新書。目も見えず身体も動かない中、本を書き上げようとする姿勢こそが、「森田療法」の実践となっている。マイナスに感じる要素を正しく認識する。それをただ「あるがまま」に感じているところから、「ではどうするか?」と自らの意志にパスを投げることで、「やるべきこと」が見えてくる。  

読むためと読ませるために―「わかったつもり」を読む

  0 本の情報
 タイトル:わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~
 作  者:西林克彦
 出版年月:2013年12月13日
 出版会社:光文社新書

 1、国語という科目

 この本は、教育現場で語られてきた「国語」が、何を教えたかったのかを、もう一度伝え直したものである。授業で作者の気持ちを考えさせ、試験でその答えを選ばせようとするのは、どんな力を求めていたのか。なぜ「作者の気持ち」を考えなくてはいけなかったのか? なぜ本当にそうかも納得できない選択肢を正解にしなければならなかったのか? その理由を伝えるために、作者は悲壮なほど禁欲的に、この本を組み上げている。

 2、「わかった」を邪魔する心と整合性を持つ「読み」
 ヒトが文章を読むには、まず文章を構成する要素を理解していなければならない。一つは単語の意味であったり、文法であったりするが、これらだけでは、ヒトはまだ文章を読むことができないことがある。
 有名な「口の中に出し入れして白い液体を出すものは何か?」というなぞなぞにあるように、文脈によってヒトは全く異なるものを読みとるのである。文脈がなければ、意味が伝わらないことがある。
 作者はここで逆に、文脈さえあれば、意味を「わかりきらず」に「わかる」ことができるとする。本当は、もっと正確に読みとる余地があるにもかかわらず、文脈によって「なんとなく」「こうだ」ということが「わかってしまう」。その意味が正しいか間違っているかは別問題で、ただ「わかった」という風に受け取ることができてしまう。全体の雰囲気や、無難なことへの向き安さなど、文脈による様々な効果が、本来より読みとるべき情報を読みとる前に「わかった」という状態に行き着かせてしまうのである。

 作者はこの「わかった」状態こそ停滞であり、より深い理解を妨げる悪癖であると考える。「よりわかる」「ただしくわかる」ためには、「わかった」という状態をより深めることができることを知っている必要がある。
 このとき作者は、「文章と文脈にある意味から、整合性を保てる範囲であれば、その他の限度なくして意味を読みとることができる」と考える。センター試験の答えは必ずしも自らの読みとは異なるかもしれないが、それが問題文との整合性の範囲で否定できないのであれば、それこそが(設問上の)答えなのだ。
 ヒトは文章の中から読みとれることを読みとり、その整合性が保たれる範囲で、より深く、より妥当で、よりおもしろい解釈を持つことができる、というのが作者の主張である。必ずしも「正しい一つの答え」を選ぶことは望ましくないが、整合性の保たれる範囲であれば、それは許容されうる解釈なのである。科学の仮説が実証されるまでは数多に存在するように。

 3、整合性のための「書き」とは

 この本を読んで特に驚いたことは、あらゆる記述が徹底して「誤読」を防ごうとしていることだった。必死すぎるほどに例を掲げ、その例の意味を示し、その示された意味を説明し、その説明のためにまた例を掲げ、なぜそれが意味を示すのか、前まで語られていたことと併せてもう一度説明する。いくつか試みとして読者にちょっとした手間を求めたら、何度でも繰り返し丁寧にその趣旨を解説し、必要になればその知識が必要になる直前で繰り返す。
 少し前のことなら覚えているだろう、一般常識で補ってくれるだろう、今までの文脈から読みとってくれるだろう、そんな「わかった状態」を作り出す「文章側の原因」を、作者は徹底して取り除いている。
 作者はこの本の中で、より読解を深くするための方法を記載しているし、誤読しやすい文章があることも(多くはないが)示している。ただ、文章の善し悪しについて、作者は直接的には何も語っていない。

 しかし、この本の存在そのものが、本当に深い理解を求めるのであれば、きっと「誤読」は許されないのだ。作者が「書き手側から」わかったつもりを排除するため、どれほどのストイックさを以てこの本を執筆したのか、尊敬の念を禁じ得ない。

年末にアマゾンで映画を見た(後編)

 年末帰省を果たしていながらも、別段コミュニケーションが増えたわけでもないので、のんびり映画を見ていた。

 年始についてはまだ分からないが、大晦日も映画三昧だろう。

 今回は三本だけ。

 (実家のPCを使っているため、商品紹介を追加した)

 

英国王のスピーチ

英国王のスピーチ (字幕版)

英国王のスピーチ (字幕版)

 

  勇気という言葉が最もしっくりと来る。なんとか振り絞った勇気で、勇気を与えるエピソードだ。

 最後のシーン、役割を終えるということの切なさが印象に残った。

 

スティング

 

スティング (字幕版)

スティング (字幕版)

 

  「最後は一刺し」

 のんびり見ていて楽しい作品だった。

 いい感じにすっきり出来るタイプのやつ。

 

世界にひとつのプレイブック

世界にひとつのプレイブック (字幕版)

世界にひとつのプレイブック (字幕版)

 

  精神病院から退院した男性が、アメフトのダフ屋をしている父親の家に住み始め、不倫をした前妻をストーカーのように追い求める中、同じく精神病院から退院した女性と知り合い、社交ダンスの大会に挑み始める物語。

 タガが外れて、さらけ出された心と心がぶつかり合っては弾き返し、苦しみと駆け引き、寂しさと取り引きが絡み合う。果てには自分が自分を傷つけて、成長できているのかさえもわからない。残るは溢れるばかりの感情と、それに伴う行動だけだ。

 ラブロマンス映画ではあるが、親子の愛情というものも、「愛情」のひとつとして別け隔てなく描かれている。

 見てよかった。