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読書濾液の貯水箱

本を読んでいたことを忘れないために

「プラトニック・アニマル」を読む

 
 1 はじめに
 
 
 今回は全く別口の本についてメモを書き残したい。
 べっとりと執拗に、自分の心に付き従うまま、言葉の一つ一つを丹念に吟味して、そのまま中身を語っていきたい。
 
 小説を書く上で、それがどんな作品であれ、人間関係を一切省くことは困難である。特に、男女関係というものは古今東西のテーマとなる有情、避けて通れる問題ではない。
 この本は、AV監督である作者がその道を生きて紡ぎ出した哲学のような何かを実直に語ったものだ。
 
 
 2 人間としての社会性と本能
 
 
 作者がこの本の中で価値観の下敷きにしていることを大まかに分けると二つある。
 
 一つは、「人間誰しもスケベであって、一皮剥けば淫乱であること」
 もう一つは、「スケベなのに楽しめていないなら、それはエゴが壊れていないから」
 である。
 
 
 作者は「自然な環境で自然なままに過ごすと男性的な魅力が高まり、女性とも関わりやすくなる」ということや、また「男性も女性も理性を優先させると気持ち良くはなれない」ということを述べている。
 作者がAVを作成する時に意識するのは、「その女性が何を本当に望んでいるのかどうか」ということを知ることだそうだ。どんな考え方をして、どんなつらい目にあっているのか。そんな一般的な相談事をしっかりと話し合い、お互いに理解しあった上で、性的な話へと突入する。オナニーではどんなことを想像するのか、どんな風なことがしたいのか、されたいのか、したいのか、オーガニズムを感じたことはあるのか、云々。
 こうした経験を重ねるうち、作者は「かくあるべし」という「エゴ」が問題であると考えるようになった。「性的欲求を覚えることは不純である」「性的なことを求めることは恥ずかしい」「いけないことはすべきでない」というような言葉群こそが、本来の快楽を妨げる要因になっている。
 深い心の中をさらけ出して、すべてを任せている状態になると、そこに「こうすべきだ」という考えがなくなる。曰く、
 「無垢な子供の姿に似ている。たとえば、まっすぐ来たら板を踏み外してドブに落ちることになろうとも『こっちにおいで』と言われたら、子供は何も考えないでやってくる」
 と言う状態だ。こういった価値観、固定観念を捨て去って初めて本能に従った性的欲求が満たせる、オーガニズムを感じることができる。あるがままの己に戻り、感じる快楽こそを想う。
 作者はこの状態を、「エゴの死」という言葉で説明している。エゴが死に、「かくあるべし」から逃れて初めて、本当の愛が純粋に存在する。体も心も祝福する愛がそこにある。
 
 
 3 おわりに
 
 当書は他にもテクニックとして「どんどん言葉を言わせて心の防波堤をぶちこわせ」とか、「イカせようとしてもそんなエゴがあるんじゃ意味がないんだ」とか、「淫乱に成りきれてこそお互いが素晴らしい時を過ごせる」とか、「男は甘えて悦ぶことだって当然にできる」とか、果ては「身近な緑とチャネリングして自然体の自分を取り戻す」とか、なんだかとんでもないことまで書いてある。
 とはいえこういった論理構成は著しく興味深いものだった。いや当たり前のことではあったんだけれども、より生々しく具体例をふまえて説明されると、すとんと腑に落ちるところがあった。この考え方で納得できる自分の考え方のいくつかを見つけることができたことを嬉しく思う。
 だとしても、人に薦めるにはちょっと。