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読書濾液の貯水箱

本を読んでいたことを忘れないために

「サナギさん」を読む

0 本の情報
 作家:施川ユウキ
 出版社:秋田書房
 全6巻

1 はじめに 絵と技術と知識
 
 最近施川ユウキにハマっている。

 「バーナード嬢曰く。」のワンテンポ遅れたヒットから存在を知り、同時発売の「鬱ごはん」「オンノジ」に手を出し、特に「オンノジ」から言葉遊びと垣間見えるほの暗さとデフォルメされた絵の相乗効果に痺れ、過去作を漁るようになった。

 そして、「サナギさん」を読むことになったのだが、本当に面白い。ほんわかとした画風と話に包まれて、ほの暗い苦みが喉をするりと落ちていく。いろいろなキャラクターがいる中で、ひたすら続いていく日常の隅に溜まった澱が耳をすり抜ける。

2、内容 入り乱れるキャラクターとマナミさん

 「サナギさん」は全6巻で一度完結しているが、現在「おかえりなさいサナギさん」という形で新たにネット連載がされている。連載の再会が望まれるほどの作品だったらしく、チャンピオンではそれ相応に人気があったらしい。当時チャンピオンはバキ以外読んでいなかった自分にとって、この事実はあまりにもショックだった。

 この作品は中学生の望月サナギと倉田マフユの二人を中心とした日常生活を描いたものである。いわゆる「日常系」にくくれることは間違ってはいないだろうけれど。
 この漫画の大半は、サナギさんのちょっとした意見にフユちゃんがネガティブに返すという流れである。この作品では何人かネガティブ思考のキャラクターがいるのだが、フユちゃんのネガティブさとは明白に異なる。世の中を皮肉っているのがフユちゃんだ。黒田サダハルという男子はひたすら自分の不幸を目指してはもう一人の男子に殴られている。そして、仲村マナミは「踏むか踏まれるか」という非常に明白かつ独特な視点から悲しげにいろいろなものを見ている。

 マナミさんは作中でも屈指にやたらめったらにキュートに見える。単純に自分の趣向としてトド松みたいなアヒル口が好きなだけか、「~ね」という独特の口調が愛おしく感じるだけか。それはともかく。
 サナギさんの中では、何人か一時期出てきたもののすぐに立ち消えになるキャラクターが多い中で、「踏むか踏まれるか」という一点集中的な立場から、レギュラーと言える程度に一巻から続いて参加している。悲しいことを考えることが多いが、その悲しみは「踏むか踏まれるか」から来ることが多い。
 マナミさんは、初登場からしてとにかく踏む。アリは踏む。ガムも踏む。茶柱も、切り株も、韻も、図も(乗って)踏むのだ。
 踏むということは君臨することだと考えるマナミさんは、いつか覇王樹(サボテン)を踏みたいといい、「雨足」に降られて踏まれたり、海岸のアメフラシをすべて踏みつけたりする。
 作中で花を踏むとき、「本で挟むのも足で踏むのも ぺちゃんこにされるのは一緒ね!」「これが人間ね」と言い、泣きながら踏む。パンを踏んだ娘が地獄に堕ちることを知っている彼女は、「代わりに素人でも踏みやすいナンを踏みまくってるね」と暴力性を発揮している。
 こういうキャラクターが好きな理由として一つ考えられるのは、自分の暴力性とその悲しみを十二分に理解しながら、それを暴力だからこそ振るっている姿がとても感情的で理性的な人間に見えるからなのかもしれない。
 彼女は牛乳を飲むにも「遠く離れた地の顔も知らない牛を乳母とし毎日パック詰めされた母乳を細い管を通して授乳させられているという状況が」「好きね」と言ったり、ぬいぐるみは「縫われくるまれ」だと言ったり、親雪だるまの前で子雪だるまを踏んで惨劇を演出したりする。
 サディスティックになるには、それが悲劇だということを強く意識し、それを心から悲しめないといけないのかもしれない。わかっていて、そうするのがいい。

 3 おわりに バスとメロス

 今現在、続編もすでに始まっている作品に対して言うべきことではないのかもしれないが、最終話が本当に良かった。
 作者も巻末のあとがきで、「最終回っぽい最終回」を書けたと言っているけれど、日常が終わらない作品の最終回として、本当に良い最終回だった。バスに乗っていく登場人物たちと、一人フユちゃんを待つサナギさんの会話がいつも通りに流れていくなかで、いつも通りに「今がずーっと続けばいいのに」と願う時間。

 最後のセリフもグっと来た。なんだか知らないけど泣きそうになった。
 二人を乗せたバスが出発した後の「おかえりなさいサナギさん」も読みたい。