読書濾液の貯水箱

本を読んでいたことを忘れないために

「考えない練習」を読む


 0 本の情報
 タイトル:考えない練習
 作  者:小池龍之介
 出版年月:2010年2月14日 初版
 出版会社:小学館
 (ほかに同著者の
 タイトル:平常心のレッスン
 出版年月:2011年10月30日
 出版会社:朝日新聞出版
 を読んでいます)
 
 1 はじめに 体の感覚と思考
 この本は三年ほど前に読んだことがあり、同作者の本は他に「沈黙入門」などを読んでいる。
 今回は概要としても、「実際にどのようにすべきか」というハウツーのみを抽出し、その手法をメモすることに

尽くすこととする。
 その背景にある仏教的視点その他の作者の思想については、今回は引用と軽い分析にとどめることにする。

 2 本の概要 心を落ち着けるためには
 (1)体の感覚に意識を向けること
  著者は徹底して、「体の感覚を研ぎ澄ませることによって無駄な思考を省き、『今していること』に意識を向けるべきであ

る」としている。この考え方について今読むとアドラーっぽさを感じる。
  具体的には、
  「話すために考えるより、『今話している自分の声』を聞きながら会話する」
  「集中力を保つために、今自分が『ふれているもの』を意識する」
  「ただ歩いているときにも、足の裏の感触を意識する」
  「目的を考えていない呼吸に意識を向けて、風に揺れる木の葉を見ているように瞑想する」
  という例が揚げられている。
 (2)自分の感情を見つめる
  もう一つ、著者は「自分が考えていることを見つめ、ただ観察するだけにして、反応にとらわれない」ということを掲げて

いる。この考え方はいわゆる「メタ認知」の技術とほとんど同じのように感じる。
  具体的には、
  「何かを観察したとき、『~がある、ない』でとどめ、それ以上の判断をしすぎず、さらに自分の感情面にフィードバック

しない」
  「自分は『褒める音を聞くと舞い上がる』『非難される音を聞くと落ち込む』ということを知っておく」
  「『いい』『悪い』で心を評価・批判せず、『そうである、ない』で留めて現状をただ認識するに留める」
  「心が揺れ動いてしまうことは当たり前のことであり、ただ『そうである』と理解することだけを続ける」
  「明日にはできなくなってしまうかもしれないが、それも『そうである』以上に悩んだり、評価したりしなくてもよい」
  というように語られている。

 3 おわりに 安らかでありますように

 昨今の「マインドフルネス皿洗い」とか、いろいろな精神アプローチはあるが、だいたい著者が似たようなことを言っていた

ように思う。もっと言えば、森田療法まで遡れるかもしれないし、あるいは宗教的アプローチに戻っても案外見えてくるのかも

しれない。
 生きることに真摯になったのなら、それほど結論にバリエーションがあるわけでもないとも思うので、これから新しいことが

ぽんぽん出てきたとしても、一つくらいに納めておきたいものだ。
 もちろん、私がそれをこれからずっとできるわけはないんだけれど。