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読書濾液の貯水箱

本を読んでいたことを忘れないために

【三本噺】「行動する」ために必要なたったひとつのこと

読書 三本噺 ハウツー

 

 勉強。節制。運動。コミュニケーション。行動すべきとわかっていることはたくさんあるが、行動に移すことは困難である。では、どうすれば行動できるのか?

 「行動する」には、感じる必要がある。

 

 たとえば、生き物は自らに何らかの危険をもたらす状態に対し、恐怖を抱く。恐怖という感情に従って、逃避・防衛というような行動が導き出される。ここでは恐怖という感情が、行動のトリガーとなっている。

 「感情的な行動」と言うように、ヒトもまた、何らかの感情に基いて、必ずしも望ましくない行動を取ってしまう事がある。一方で、自らを律して感情に振り回されず、物事に取り組むことのできるような人物も存在する。

 ここにある差は一体何なのだろうか?

 

 ソマティック・マーカー仮説という、行動経済学の仮説がある。

 一言で述べるのならば、ヒトが意思決定を行うに際しては、一種の「身体感覚」が重要になる、という仮説である。たとえば、ヒトがあるものを「良い」と思って購入する際には、この「良い」という感情が現れることが、購入という行動のために重大な要素である、ということである。

 一見すると大したことを述べているようには見えないが、この仮説を検証するために「アイオワ・ギャンブル課題」という実験が行われ、ここで示唆される結論は興味深い。

 内容としては、とあるギャンブルを実施していくものである。そのギャンブルは、数回試行するうち「こうすれば安定して儲かる」傾向を見出すことが容易いものとなっている。ここでの実験の主体となる者は、前頭葉を損傷した患者である。患者らは、一般人と同じように試行を行い、どうすれば「安定して儲かる」かを理解した。また、実験者は安定して儲かることを求めている。だが、それにも関わらず、前頭葉の損傷によって「感じない」ために、全く試行を変えることのないまま、大損をして実験は終了してしまうのである。

 仮説段階であり、この実験によって全てが説明可能という訳ではない。しかし、「理解する」だけでは「行動」にはつながらず、「感じる」ことが重要な要素であることが示唆されている。

 

 しかし、感じるということは、必ずしも正しくない。

 ヒトという種は存続するにあたり、様々な思考傾向を身につけた。例えば、ヒトは物事に関して「損失」を「利得」よりも大きく見積もる。手放すこと、失うことに対して過剰に反応し、論理的には得ることのほうが望ましいと思っていても、「感情的に」失うことを「恐れ」、論理的に望ましくない行動を採用してしまう事がある。

 また、論理的に正しいことは、正しく「感じる」ことともイコールではない。たとえ歩きタバコが悪いことだという言説が正しいとしても、それを歩きタバコをしている人間から聞けば、全く正しさを「感じない」。これは、本来的には論理性に含めるべきでない相手の公正性を言説に加えて考えているからである。主張する人物の公正性を言説の内容に含めるようなことは、論理的には関係のないことを含めているので正しくないが、「概ね」正しい結論を導き出すことも多く、それ故にヒトの「感じ方」として受け継がれてきたとも言えるかもしれない。しかし、自分が望ましいと思う事柄のための行動にはつながらないこともある。例えば、相手が公正性が無いように見えて、それを感じ取ったとしても、その「感じ方」に事実の担保はどこにもなく、一度感情を落ち着けて冷静に物事を見ていく必要があることも十分にある。

 

 では一体、どうすれば行動すべきと思うことのために行動できるのか?

 そこには、「感じ方を選ぶ」という技術がある。

 方法の一つとして「森田療法」を掲げてみたい。

 「森田療法」というものは、根本には「今自分が感じていること」を「あるがまま」に見つめ、その上で「行動する」というものである。今自分が感じている怠惰や不安、恐怖や逃避など刹那的な欲望を否定せず、また心の奥底にある「自己実現欲求」のような長期的な欲望をしっかりと感じ取ることで、前者を「そのまま」にして、後者を選択していくものである。

 これは、行動のために感じるテクニックと言える。人間は思考する余裕がなければ、つい刹那的な欲望にかられてしまうし、刹那的な欲望を否定すればするほど、そこに意識が無いてその他の感覚を失ってしまう。重要な事は、自分が求めたいと思うことを感じることである。その感覚がなければ、行動することは出来ない。

 同時に、自分の感じ方を正しく理解する必要もある。自分が実際に何を感じているのか、すぐには理解できないことも多い。わからなければ、何に駆られて動きたがっているのか、わからないままに行動してしまう。「なんとなく」「無意識に」行ってしまうような、望ましくない行動を認識し、抑えるためにも、ヒトの感情の傾向を知ることは大切だ。

 

 自分の感情の傾向を知り、感じるための技術を磨くことは、本当にしたいことを行動に移すための、そして、本当はしたくないことを行動に移さないための、大切な習慣である。

 

(今回から、3冊の本を無理やり結びつけて記事を書く【三本噺】をやってみたいと思います。 今回はライフハッカーとかそんな感じで、それっぽく書きました)

◯今回の三冊と各200文字レビュー

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

 

   「急がば回れ」とは言っても、実際は急いだ方がいいこともある。それでもこれが「それなりに正しい」ために、生きるテクニックとして教えられている。裏切らないと一貫した感情があるのなら、囚人のジレンマは起こらない。完全な合理性には届かないが、存続の課程で磨き上げられてきた、素朴なテクニックたちがヒトの身体に染み着いている。様々な実験から、これらの「傾向」が経済にどんな影響を与えているのか概観する。

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

 

   論理的でなければ機械は動いてくれないが、別にヒトはそうではない。言葉を連ねるとき、それは必ず相手に「理解してもらう」必要がある。相手に、「自分がこう理解したのと同じように理解してほしい」と思うからこそ、言葉は取捨選択され、並び替えられ、言い換えられて伝えられる。そこには論理的には結びつけるべきでないこともあるだろう。でも、伝えたいことが論理的には伝わらないとき、どうしようか。

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

 体中を病に蝕まれ余命幾ばくもない中、口述筆記によってしたためられた、精神治療に関する新書。目も見えず身体も動かない中、本を書き上げようとする姿勢こそが、「森田療法」の実践となっている。マイナスに感じる要素を正しく認識する。それをただ「あるがまま」に感じているところから、「ではどうするか?」と自らの意志にパスを投げることで、「やるべきこと」が見えてくる。