読書濾液の貯水箱

本を読んでいたことを忘れないために

情報と作戦を分ける――「大本営参謀の情報戦記」を読む

はじめに

 情報に対して敏感になる必要がある
 最近はいろいろと考えることが多すぎて、目をつぶって部屋の隅で雨と埃を食べながらかろうじて生きている有様でした。ようやっと、回復できたかどうか、というところです。仕事も積み重なりながら、本を読んでいたり、数少ないコミュニケーションをしていると強く感じます。
 自分はなんにもわかっていない、と。
 いろんなことを学んでみても、いざ実践に移れば無知を晒すばかりで、一人前になれたかなれないか、なんてことを感じた矢先、自分が未だに何も知らないということを強く強く感じるばかりの日々です。

 自分がどれだけ知らないか、それさえもわからない状態にある、不安のまっただ中。
 ほんの僅かな情報しかなくても、決断を迫られる時がある。
 太平洋戦争の渦中、人の命が天秤の皿に載る最中、天秤を傾けるための情報を集め、苛烈な思いの中判断を下し続けた参謀が書いた本です。

情報を積み重ねる

 あらゆるしぐさを見逃さない
 今やインターネットという情報の奔流に心身を流される昨今ではあるけれど、かつての太平洋戦争でも、情報というものは当然のごとく大切なものでした。
 情報源というものは様々に存在しました。新聞、雑誌、公文書のような文書から、諜報組織による情報網も存在します。
 筆者は、こうした情報源のうち、相手が表出したものを特に「しぐさ」という言い方をしました。

 情報を得ることは、戦争に於いては当然に重要でした。国力の検討のための経済、資源、産業や、愛国心を見定めるための教育、船舶の輸出量、積み重ねた歴史や思想。こうしたあらゆる分野の情報から、戦争能力をはじき出す。こうした情報収集は、戦争を始めてから行う、というものでは無く、始める前から知っておかなければ「いざという時」に役に立たないものでした。
 筆者は、真珠湾攻撃によって戦術的勝利を得たことに対し、米国が日系人の強制収容を行ったことが、米国の戦略的勝利であったと述べています。敵国本土における情報網に大きな穴が空いたことが、最大の敗戦の原因であったとさえ述懐しているのです。

情報を審査する

 情報の交差点を見つける
 筆者が参謀として大本営の情報課に所属した時、そこに参謀のためのノウハウ、マニュアルなどは殆ど存在しませんでした。
 さらに言えば、その時の情報課は耳障りの良い「的確さを欠いた情勢判断」を行うような状態でもあったと言います。
 そんな中、筆者は、自分を育てるための環境も何もないままに、参謀という情報の職人仕事に飛び込んでいきます。

唯自分が、これを天与の仕事と思って取り組んだ時に初めて、経験者の体験が耳に入り、それを咀嚼して仕事に活かし、上司の片言隻句から自分で自分を育てていく以外にない。

 積み重ねた知識と経験から、筆者は「情報の交差点」を見つけることが重要であると述べます。
 つまるところ、一つの情報を鵜呑みにせず、他の何かの情報と関連があるかどうかを見つける、というものです。
 この時、積み重ねてきた知識と経験が、職人の「勘」として立ち昇っていくる。

目前の現実を見据えた線と、過去に蓄積した知識の線との交差点が、職人的感であって、(…)積み上げた職人の知識が、能力に鳴った結果の判断とでもいったらよい。

 筆者は、原爆攻撃の存在には気付くことは出来ませんでしたが、「面的攻撃」を考えるのではないか、というところまでの発想には至っていたそうです。
 その時に原子力に係る発想を、知識を持っていれば……と、強く悔いていることが書かれています。

 言い切らなければならない
 いくら情報を審査しようと、「確実な情報と称するもの」はめったにありません。血で血を洗う戦場などでは特に、情報を得ようにも極限状態。揺れ動く有様に「確かなもの」はありません。

 しかし、「敵が来るのか来ないのか」を、言い切らなくてはいけないタイミングは必ず訪れます。

 それが正しいのか正しくないのか、それを確保してくれるものはどこにもありません。決して埋まらない30パーセントの空白を埋めるのは、情報を積み重ねた勘と、責任だけなのです。

情報と作戦を分ける

 情報は濁らせてはいけない
 これは100年も前から当然のことなのだそうですが、情報と作戦は必ず分ける必要があります。
 あくまでも、情報は情報に携わるものが収集し、作戦は作戦に携わるものが実行する。この分別を行わなければ、「独り将棋を指すのと同じ」になると、強く戒めています。

 例えば、航空隊の実戦などでは、参加機以外がその様子を写真などで見届けでもしないかぎり、誇大報告は避けられません。命のやり取りをする最中の心理に意識を向けていなかったことから、日本軍は誇大報告をそのまま鵜呑みにし適切でない作戦を取り続けてしまったといいます。

 作戦当事者は、感情や期待を以て判断を加えてしまうと言います。それ故に、情報当事者は作戦から離れ、経験と知識から、深層と本質を冷徹に見る必要があるのです。たとえそれが友軍の戦力であろうと、冷静に把握しなければ、作戦は正確なものになり得ないのです。

独りで情報を重ねていく中で

 そうは言えども、昨今の世の中には情報が満ち溢れ、自らを活かす作戦もまた、混迷を極めています。

 もはや何も道標はなく、冷静に情報を見る目も果たして養うことが出来るのだろうか、とさえ感じます。感情に流され、冷静でない行動を取り、作戦は敗北を続けています。永久後退戦の最中に、気を紛らわせてくれる何かが訪れてくれることを願います。


大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)